本社は正応元年と安永九年の大火によって、古文書を消失したため詳らかではないが、神名帳に記されていることから延喜五年(905)頃にはすでに存在していたと言える。
延喜式内社で朝明地方(24座中)に於ける中心の神社として崇敬を受けていた。また、徳川時代には「富田六郷(東富田・北島・西富田・松原・富田一色・天カ須賀六村)の総氏神」としても信仰を集めていた。
明治二年三月明治天皇が御東幸された折に亀井中将を官幣使として参向させ、奉幣されたことにより、御神徳がいっそう高くなり、地方近郷の総氏神社としてますます崇敬を深めたと、明示三十九年十二月、三重県告示第三八〇号を以って、神饌幣帛料供進社に指定され明治四十年及び四十一には近郷の神社を合祀し、昭和十七年には県社に列せられた。
社名の由来については「神名帳」に「倭建命の白鳥に化して飛出給ひし地なる故に鳥出といふ」とあり、また本社が鎮座する地名を富田というのは登利傳(とりでん)が訛ったものと言われている。
本社に関する古典中の文献(以下 抄録)
・神名帳考証 三 (伊勢朝明郡)出口延経
鳥出神社 富田村鳥鳴海神為正北方富田村社称飛鳥社神賀詞奈流美命古事記言大國主神生子鳥鳴海神今言富田
・大日本史 二百五十四 (神祇十一、神社六、伊勢國朝明郡)水戸藩
鳥出神社【今在東富田村飛鳥明神】傳言、祀日本武尊(古事記傳神社 録)日本武尊 世、葬能褒野神霊化白鳥、白北域出而飛去
・古事記傳 二十九 (月代宮、四之巻)本居宣長
鈴鹿郡能煩野より、濱に向ひ 座むには 奄芸郡、河曲郡、三重郡の内の海邊なるべし、鈴鹿郡の当南方より
東北方に亘りて、此三重郡並て海は其東なればなり、又、神名式に朝明郡に鳥出神社あり、或説に此れ、倭建命の
白鳥と化て飛出給ひし地なる故に、鳥出とは言なり、今は此のあたりを富田と言ふは、登利傳を訛れるべし。
また、本社本殿の造営に当たっては、神宮式年遷宮の時の古殿の用材を拝領して行われる古例があり、社記によると、その最古の例は、天正十三年にさかのぼる。その年十月十五日に外宮御遷宮の後の鳥居拝受のことが記され、以降寛永六年、慶安二年、寛政元年、明治二・二十二・四十二年、昭和四・四十八年にも、その事があったと社殿の由緒に記されている。
現在の本殿は昭和四年、内宮月讀宮殿の古殿用材の拝領のものである。また、昭和四十八年には、外宮の宿衛舎内玉垣御門の用材を、平成五年には鳥居を拝受している。
現在の宮司は15代 喜多嶋敏彦(当社本務)である。喜多嶋家は累代当社の社家で『喜多嶋家系図』によると 大織冠鎌足公33世 吉野中納言 藤原正高卿三男従4位上 直一に始まり 現在も世襲制である。
四日市市指定有形民俗文化財 (平成15年)
神事の起源は、天明元年(1781)、神のお乗りになる御座船を造り、相殿の漁神若一権現の御旅所に渡ったところ、その年大漁になり漁民達が大変喜んだ、というところから来ているといわれている。
鳥出神社で行われるお祭りのご紹介です。
1月1日 歳旦祭(本殿)
3月吉日 稲荷社祭(境内社、鎮火稲荷社)
5月吉日 龍神社祭(境内社、城山龍神社)
7月20日 えびす祭り(境内社、蛭子社)※
8月14日 鎮火祭(神楽殿) ※
8月15日 例祭(本殿) ※
9月23日 かに祭(本殿) ※
12月30日 年越大祓式(神楽殿)
※の付いているお祭りは、氏子総代の皆様にご参列いただきます。